家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信                          NO346

2005年(平成17年)5月27日発行

大 王 や し

 

発 行 所  台中日本人学校       電 話     2567−2079

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校長室より

 

校 長  松 井 幹 夫

 

 

1.訪問懇談ありがとうございました

4月26日(火)から29日(金)までの訪問懇談に、ご協力いただきありがとうございました。

後日各担任から、保護者の皆様と子どものよりよき成長に向けての有意義なお話ができたとの報告を受けました。いろいろなご意見を参考に、皆様方と手を携え、心を尽くして子どもたちを全力で応援し、よりよい台中日本人学校づくりに生かしてまいります。

 

2. 運動会の応援ありがとうございました

 (運動会スローガン)≪情熱燃やし 勝利のもとへ 走り出せ!≫

(赤組スローガン) 『燃える弾丸 赤の力大結集』

(白組スローガン) 『白組よ 勝利のために風になれ!』

の下、5月21日(土)に、第26回運動会が開催されました。当日は、学校運営委員会を始め 多数の保

護者の皆様方に参加をいただき、子どもたちの頑張る姿に熱き声援を送っていただきましたことに深く感謝申しあげます。

運動会に向けての練習時間が少なかったのですが、子どもたちは、一人ひとり力を結集し、運動会を成功させようと練習に一生懸命取り組みました。そしてあのように、見る人々に感動を与える素晴らしい運動会となりました。

 

3.中学部2・3年生 修学旅行に行ってきます

 中学部2・3年生の修学旅行が、6月7日(火)から10日(金)までの3泊4日で実施されます。

台中日本人学校中学部の修学旅行は、2・3年生合同で隔年に実施されます。子どもたちの在籍人数と費用をできるだけ安く抑えるためにこのようになっています。

 修学旅行のテーマを

見て 触れて 感じよう 日本の伝統や文化 仲間の良さを 

                  そこから広がる新たな自分の可能性を!

と掲げ、日本の歴史上、大きな役割を果たした奈良・京都・大阪を見学し、若い感性でじっくりと歴史ある日本の文化を感じ取ってきてほしいものです。

 また、サイクリング研修・班別自主研修などを通して、ルールや約束を守り、お互いに助け合い、思いやりを持ち、それぞれの責任を果たしながら、マナーを身に付けて、意義深い交流を深めてほしいものです。

 

4.プール水泳開始

 子どもたちが楽しみにしている水泳学習が、6月13日(月)から始まります。 

 命に関わる学習ですので、子どもたちの健康・安全に十分配慮して、次のような「ねらい」で指導いたします。 

(1)水泳を通して健康の保持増進及び体力の向上を図る。

(2)適切な水泳の経験を通して水に親しませる。

(3)ケガの防止・安全の確保に対して最善の注意を払えるようにする。

今年も水泳学習開始に先立ち、小学部1年生から中学部3年生までの全児童生徒で、体育の授業を使い、学年に応じた清掃分担場所を考え、プール及び周辺の清掃を行います。

また、今年は、水難事故防止の観点からそれぞれの学年に適した「救助法」も実施したいと考えています。日々の学習の結果、水泳学習の総まとめである9月の校内水泳記録会で、子ども一人ひとりの泳力・泳法が共に向上することを期待しています。

 

5.音楽朝会のお知らせ

平成17年度の音楽朝会の開催予定は下記のようになりました。例年は月曜日に開催されていましたが、今年から開催曜日が変更になりました。ご注意ください。

 なお、音楽朝会は、保護者の皆様に公開しています。今年も充実した音楽朝会をめざして、児童・生徒一同がんばります。どうぞご参観ください。  

 

第1回

小学部3年

6月14日(火)

第2回

小学部6年

7月12日(火)

第3回

小学部1年

9月20日(火)

第4回

小学部2年

10月12日(水)

第5回

小学部4年

11月22日(火)

第6回

小学部5年

12月13日(火)

第7回

中学部

1月20日(金)

 

 

 

運動会特集

 

 5月21日()、台湾らしく燃え上がる太陽の下、待ちに待った運動会が開催されました。

今年のスローガンは

「情熱燃やし 勝利のもとへ 走り出せ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学部1年から中学部3年まで、足並みそろえた立派な入場行進ができました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『応援合唱GO!GO!GO!

 中学部3年がリードして練習を重ねてきました。小学部のみんなも精一杯の声で、すごい迫力でした。

 

 

 

 

 

 

 

『徒競走』

 

 

 

 

 

 

小学部1年〜4年は50m、小学部5年〜中学部3年は80mに挑戦しました。走っているときの表情がいいですね。

 

 

 

みんなで踊った『台中音頭』。みんなはっぴを着てかわいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『正調ソーラン節』

小学部5年から中学部3年が取り組んだソーラン節。体育の時間が終わるとへとへとになりました。でもそれだけ力を入れて練習してきました。一人ひとりの自信にあふれた表情や力の入った動き、十分にその成果を出せましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

KIDSソーラン』

小学部1年から4年でがんばってきました。子どもたちの元気な踊りと各学年で作った大漁旗が大きな見所でした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

『友情のスクラム』

中学部生徒による競技、16人17脚です。なかなか足がそろわなくて各チーム苦労しました。でも中学部3年生がリーダーシップを発揮。全員で力を合わせて、本番では一度も転ぶことなく、すばらしいレースになりました。結果は白組が早く駆け抜けましたが、まさしく友情を作る競技となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『バーゲンセール』

小学部児童による競技です。それぞれの陣地へ持って行くものによって得点が決まります。高学年には一番の大物、タイヤを持って行く姿も…。1・2年、3・4年、5・6年の3回とも赤組の勝ち。さぁ赤組の猛追が始まりました。

 

 

 

 

 

 

 

『選抜リレー』

小学部1年生からのスタート。赤白2チームずつ、それぞれ学部や学年を超えてたった1本のバトンをつなぎました。

 

 

 

 

 

 

 

『綱引き』

団長、副団長を先頭に全校児童生徒が力を合わせて一生懸命引きました。ここでも赤が勝ち、逆転優勝に望みをつなぎました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、結果発表…

赤組665点、白組667点 わずか2点差の接戦でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果発表の時、白組は「本当に勝ったのか?」と一瞬の戸惑 いとともに、喜びがこみ上げてきた様子がよくわかりました。 赤組は後半の追い上げがあっただけに、がっくりと肩を落とし 静かに涙を流す姿も見られました。でも赤組団長の「負けて悔いなし!」の一言に赤組の気持ちが代表されているような気がします。閉会式での「もし神様がいたら、もう2点足して同点にしてあげたかったです」という校長先生の言葉も、とても印象に残りました。

 

 

ペンリレー

                   「部活動の思い出」

                                                            中学部2年担任

 

 「先生は何の部活をやっていたのですか?」

 日本での中学校で生徒によく訊かれたものだ。野球やサッカー、バスケットなどのメジャーな部ではないので、あまり明快には答えずはぐらかしていたが、今日はその事を書こうと思う。

 

 実は山岳部に所属していた。「山岳部っていつも何してるの?」これもよく同級生に訊かれた。高校での「部活動」というのは大会やコンクールを目標に活動するもので、野球部なら野球を練習してその技術を高め、甲子園を目指す。山岳部でも大会はあるが、その技術を磨くことが一般にはわかりにくかったようだ(説明もしにくいのだが…)。いつものトレーニングは、もちろんグランドは使えない。毎日5kmのランニング、坂道・階段ダッシュ、筋力トレーニングを学校の外の空き地で行い、時には部活棟の階段を50kgの荷物を背負って昇降したり、校舎の壁をロープ一本で下る練習などをしていた。(今思えばよく顧問が許可したなぁ、と思う)

 

○初めての山行

 私の出身地は神奈川県で、県北西部には「丹沢山地」があり、横浜からでも2〜3時間で登山口の渋沢や新松田まで行くことができる。私が高校生の時は土曜日まで授業があったので、山行はいつも土曜日の午後からの1泊2日だった。授業が終わってから大きなザックをかついだ。最初の山行では「カニザック」といわれる横に長いキャンバス地のザックで、荷物は17kgと結構な重さである。この荷物を背負って電車を乗り継ぎ、昼食は相鉄線の中でとることもあった(普通神奈川では電車で食事をしている人はほとんど見かけない…)。小田急からバスに乗り換えて、黙々とキャンプ場を目指す。キャンプ場といっても芝生で木陰のある場所ではなく、登山ルートのテント場である。ゴツゴツした石の上でテントを張った。灯油を使うコンロで食事をつくり、鍋でご飯を炊いた。保冷が出来ないので、生肉や生野菜は持って行けない。ベーコンを使ったカレーやシチューなど簡単なものであったが、みんなで食べる食事はとてもおいしかった(この時の経験のおかげで、どんな鍋でもおいしくご飯が炊けるようになった。台湾にも「ご飯用の土鍋」を持ってきたくらいである)。日が暮れると街灯などはないので、まさに星明かりだけ。信じられないほどの闇に山が間近に迫ってくるように感じた。

 夜明け前から朝食の準備とテント撤収、荷物をザックに詰め込み出発。丹沢山地は最高峰の蛭ヶ岳でも1673mの比較的低い山地であるが、峰が連なり、縦走もできるのでなかなか人気がある。ただ低い山なので森林限界がほとんどない。つまり視界は常に緑の中にあり、いい景色を見ながらの山歩きは出来ない。それに気温。荷物を背負うと汗がすぐに出てくる。30分に1回くらい休憩をとったが、水も共用、年功序列でポリタンクが回ってくる。新入生にとってはつらいことであるが、水をがぶ飲みしては気力・体力が衰えるので、そこそこの量でちょうどよかったのだろう。それでも目指した山頂に立ったときのあのすがすがしい気持ちは、何とも形容しがたいものがあった。お互いに頑張ったなぁと声を掛け合い、涼やかな風をめいっぱい体に受けた。しかし感動もつかの間、山に登ったなら下りなければならない。登りはゆっくりとした歩みだが、荷物を担ぎながらの下りはなかなかゆっくり歩けない。それでは膝に負担がかかるので、いつも走るように下山していた。だんだん高度が下がり、谷川の音が聞こえ、人家が見えてくると「ああ、何とか無事に終わった」と実感するのだった。

 

○そして夏合宿へ

 このような山行が1ヶ月に一度あり、体力も自信もついてきた。そして装備もそろえた。高1の夏休み、いよいよ夏合宿である。東京から夜行急行列車、いすの間にザックをおいて仮眠をとった。早朝松本から松本電鉄で新島々、そこからバスで上高地に入った。

 上高地は北アルプスの玄関口であるとともに、梓川、河童橋、大正池、そして帝国ホテル(今はないらしい)を有する景勝リゾート地である。華やかな若者に対して、ジャージとTシャツ・登山靴の集団はいやでも目立っていた。でもそんなことが気にならないくらい、そこから見上げる雪を頂いた北アの峰々は、神々しく見える。上高地からは梓川をさかのぼって林道を歩き、「横尾山荘」のテント場へ。ここで合宿1日目の夜を迎えた。

 次の日の行動はまず蝶ヶ岳(2664m)に立つことだ。「横尾山荘」は標高1600mそこそこなので、一気に1000mも登らなくてはならない。このルートは本当に登りばかりで辛く、厳しかったのを鮮明に覚えている。でも森林限界を超えて、ハイマツ林に変わった頃からずいぶん気分が良くなった。なにしろ上高地で見た北アが本当に目の前に見えているのだから。その後常念岳(2857m)、大天井岳(2921m)と縦走した。「3000mまであと80mだー!」なんて、届きもしないのにピョンピョン跳ねてはしゃいで見上げた空は、どこまでも青く透き通っていた。3日目はいよいよ槍ヶ岳(3180m)へ。北アのシンボル的存在である。遠くから見るとあんなに尖っているのに、とりつくと巨大な岩の固まりである。

 

「アルプス1万尺 小槍の上で アルペン踊りをさあ踊りましょ」

 

 その小槍は、眼前にある。切り立った崖なので普通登る人もいないし、もちろん踊れない(と思う)。槍ヶ岳の山頂は狭い空間だったが、こんな景色があるのかと思うほど、素晴らしいパノラマだった…。

 

 ある登山家はいった。「なぜ山に登るのか、それはそこに山があるからだ」と。そのときの私はそんな言葉の意味は考えなかった。ただ一つの目標を目指して、準備し、努力し、途中でくじけそうになってもあきらめずに、みんなで励まし合い、ひたすら前向きに…。それは今思うと、全てのことに共通しているように思う。

 先輩や仲間にも恵まれ、このみんなに知られていなかった「山岳部」での3年間は私にとって宝物のような時間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図書紹介

 

 

「太陽の子」と書いて「てだのふあ」と読める人は、きっと灰谷健次郎ファンの一人でしょう。

   てだは太陽、ふあは子・・・・てだのふ あはふうちゃんのことなんや。太陽の子ふうちゃんというわけよ。・・・・・な、オジやん。(てだのふあ・おきなわ停にて)

 

 灰谷健次郎の「太陽の子」の中の一説です。

 主人公の「ふうちゃん」は、父の病気の原因に沖縄の戦争が関わっていることに気づいていきます。灰谷作品には、沖縄の戦争の話がよく出ます。彼は作品の後書きで、次のようにも述べています。

「一つの『生』のことを考える日本人は極端に少なくなりました。今ある『生』がどれほどたくさんの『死』や『悲しみ』の果てにあるかということを教える教師も少なくなりました。それは日本人全体の堕落です。」

 

 また、灰谷作品の多くに、いわゆる‘落ちこぼれ’の子どもたちが中心的な存在となって登場します。そして、多くの提言をしてくれます。教員経験を持つ灰谷健次郎ならではの特徴でしょう。この「太陽の子」の中にも、次の一説があります。

「ギンちゃんが、センコなんか信用せえへんっていうてたけど、べつにひいきをせんでも、そういうしかしょうがない先生もいるやろ。勉強のできん子は、勉強ができるようにしてくれた先生がええ先生というやろし、かなしいことがありすぎて勉強なんか手につけへん子は、勉強せえという先生がええ先生ではなく、そのかなしいことを、いっしょに考えてくれる先生がええ先生や」

 

 いじめや不登校が社会問題になる以前にこのような作品を書いていた作者の感性は、やはり秀でているのでしょう。

 小学校低学年用には童話のシリーズもあります。年齢を問わず是非読んでみたい作者の一人です。