家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信                          NO345

2005年(平成17年)4月29日発行

大 王 や し

発 行 所  台中日本人学校       電 話     2567−2079

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校長室より

校 長  松 井 幹 夫

1.新学期スタートから3週間

11日の着任式・始業式、12日の小学部・中学部合同入学式を無事終え、134名の子どもたち、23名の教職員で台中日本人学校の新年度がスタートし、3週間が終わりました。

小学部1年生19名もすっかり学校での生活に慣れ、楽しく生き生きと過ごしています。

また、他の児童生徒も、新担任・副担任のもと、今年一年の自分の目標、学級目標等を決め、各々の顔から頑張るぞというやる気がひしひしと感じ取れます。

2.PTA総会を終えて

23日、平成16年度のPTA総会が滞りなく終わりました。授業参観・学級懇談会にも数多くの保護者の皆様方に参加いただき本当にありがとうございました。新年度が始まりちょうど2週間でしたが、子どもたちの様子はいかがでしたか。きっと、成長の様子を感じ取っていただけたことでしょう。土曜日に開催することにより、多くのお父様に参加いただいたことに厚くお礼申しあげます。

 平成16年度PTA会長 難波 優子様、副会長 尾崎 由里様をはじめ役員の皆様、一年間本当にお世話になりありがとうございました。会長および役員の皆様のお力添えの下、一年を無事終えることができました。感謝いたしております。

平成17年度 鈴木 良子PTA会長をはじめ役員の皆様方のお力をお借りし、信頼される台中日本人学校づくりに努めます。どうか、保護者の皆様の温かいご支援・ご協力をお願いいたします。

3.訪問懇談によせて
4月26日(火)から29日(金)まで「訪問懇談」が実施されました。

「訪問懇談」は、家庭と学校が連携を密にして、お子様のよりよき成長を図るために行うものです。訪問を終えた担任から、家庭での生活の様子や日頃のお子さんのことで考えていらっしゃること・学校へのご要望、ご意見等の報告がありました。子どもたちのより良き成長への指導に役立てたいと思います。また、今後の学校経営にも生かしていく所存です。






4月11日()、新年度が始まりました

 「着任式」、「始業式」












「7人の新しい先生方を迎えました。」 「久しぶりの校歌、大きな声で歌えたかな?」

















    「新しく来られた先生方への歓迎の言葉」














「新しいお友達、転入生の紹介です。        「始業式、今年度の抱負をみんなの前で発表しました。」

   台中校に早く慣れてくださいね。」                 

 

新入生の1ヶ月…入学式から1年生を迎える会まで


















「初めての教室」  小学部19人、中学部11人の新しい仲間たちです。

 教室の居心地はどうですか?



























ペンリレー@

                            中学部3年 担任

我がふるさと!

1 はじめに

 早いもので、台湾へ来て1年が経ちました。はじめは慣れない交通事情や北京語に戸惑い、不安を感じましたが、親切な台湾の方々、素直で明るい子どもたちと出会い、あっという間に1年が過ぎました。また、台湾の暖かい(?暑すぎる)気候も私にはぴったりでした。

私は岐阜県に生まれましたが、寒いのが苦手で、進学する大学を決めるとき、母親から冗談交じりに「沖縄の大学へ行ったら」と言われたほどです。毎年、なぜか冬に行われる剣道の授業で、降りしきる雪の中、あか切れの痛さと霜焼けの痒さを堪えながら、体中にホッカイロを貼り付けて授業をしていたことが嘘のようです。

さて、この1年台湾で生活していて気づいたことがあります。それは、私が育った岐阜県は、かなり知名度が低いということです。はじめてお会いした方とは、大抵あいさつ代わりに「どちらからお見えになったのですか?」と言葉を交わします。当然、「先生は?」と返ってくるので「岐阜県です」と答えるわけです。すると、なぜか少し間があって「ああ岐阜県ですか…」で話が終わってしまうことがよくありました。きっと、この「少しの間」の間に、「岐阜県ってどこにあったっけ。共通の話題にできるようなところはあったかな?」と考えるのでしょう。でも、結局は何も見つからないわけです。更に、子どもたちには、「ぎふけんと漢字で書けますか?」と質問すると、「えっ、どんな漢字?」と漢字で書けない子どもが結構います。

私は気になって、インターネットで「都道府県知名度ランキング」(2003/05/02小学4〜6年生に聞いた都道府県の認知度−帝国書院調べ)を調べてみました。すると岐阜県はワースト8にランクされていました。(ちなみにベスト1は井上先生の出身地、北海道です)正直な気持ちは「えっ、ワースト1じゃないの?良かった。でもやっぱり知られてないな」でした。台中日本人学校へ派遣された教員の出身地を調べてみても、どうやら岐阜県から派遣された教員は、25年の歴史の中で、私がはじめてのようです。

今回、ペンリレーを執筆するにあたり、私は岐阜県出身者として、岐阜県の知名度を上げるために、「岐阜県特集」を企画することを決意しました。


2 岐阜県の由来

岐阜の「岐」は、中国の「岐山」にちなんで付けられています。周の文王はこの山で立ち上がり、800年の太平の基を築きました。岐阜の「阜」は、中国の「曲阜(きょくふ)」にちなんで付けられています。曲阜は、学問の祖、孔子の生まれた地であります。太平と学問の地という熱い願いのこもった「岐阜」です。織田信長は、その説を生かして城下の井之口村を岐阜町と改め、天下統一の拠点として全国にその名を広めたのです。

3 岐阜県の位置
岐阜県は日本のほぼ中央に位置しています。面積は約1万596平方キロメートルで、全国第7位の広さを誇り、7つの県に囲まれた数少ない内陸県の一つです。

4 岐阜県の観光

 @やっぱり世界遺産白川郷

岐阜県で一番有名な観光地は、1995年、ユネスコの世界文化遺産に認定された白川郷でしょう。「合掌造り」と言われる、機能的・景観的にも優れた家屋、約110棟が集落を形成しているものです。静かな山村は植物や年中行事などの歳時記にことかかず、春の桜や冬の雪景色など一枚の絵のような光景が一年中あちこちで見ることができます。お薦めです

 Aお祭りは高山

古い町並みを散策したり、おいしい地酒を飲んでみたいというのなら、高山がお薦めです。飛騨地域の中心である高山には、町人の町であったころの名残りが今でも色濃く生きています。また、春の山王祭と秋の八幡祭を総称して呼ばれる高山祭は、日本三大美祭の一つに数えられるほどの麗しさが魅力です。必見は、動く陽明門と賛えられる屋台です。からくり人形も高山独特で、優雅な所作で演じます。屋台はすべて昭和35(1960)国の重要有形民俗文化財になりました。祭りの最中は多くの観光客で賑わい、静かな城下町が華やかな活気で満ち溢れます。ちなみに、中学部3年生がお守りとしてカバンに付けている「さるぼぼ」はここのおみやげです。


 B温泉なら下呂温泉
日本三大名泉の一つに数えられる下呂温泉は平安時代より湯治場として栄えている「いで湯」の里です。お肌がすべすべになると評判のお湯は、ほのかな香りをもつのが特徴です。私たちは、鈴蘭高原や流葉でスキーをした帰りに立ち寄り、一日の疲れを癒していました。探してみると、下呂温泉には、日帰りでも入浴できる施設が結構あります。また、下呂から少し足を伸ばせば奥飛騨温泉郷へも行くことができます。各旅館の露天風呂は、味わいがあり、個人的には「上高地」と併せて旅することをお薦めします。

 C風情を味わう鵜飼い
 長良川に夏の訪れを告げる風物詩で1300年続く伝統行事の鵜飼いは、毎年5月11日から10月15日まで、川の増水時と中秋の名月の日を除いて毎夜開催されます。

長良川の鵜は、野生で生息している海鵜を飼い慣らし、2〜3年にわたり訓練をした一人前の鵜にしたもの。また、全部で6人の宮内庁に属する長良川の鵜匠は、代々続く世襲制により技を受け継いでいます。鵜匠は鵜と共に生活を送りながら鵜飼の季節には伝統装束を身にまとい、漁を行います。岐阜県内の小学校では、社会見学でこの鵜飼いを見学し、鵜匠さんから話を聞いたり、訓練の様子を見学したりします
これらの他にも、「天下分け目の戦い」と言われた徳川家康と石田三成が戦をした関ヶ原や滝の水がお酒になったと語り継がれている養老の滝など、見どころはいっぱいです。

4 瑞浪市(みずなみし)

私が生まれ育った町は岐阜県の南東部に位置する瑞浪市です。瑞浪市は化石と陶器で有名(?)な町です。中央自動車道瑞浪インターチェンジを下りるとすぐのところに化石博物館があり、ビカリア、デスモスチルス等の「瑞浪化石」を見学することができます。そこから国道19号へ入ると道路の両側に大きな陶器工場が見えてきます。紀元8世紀から伝わる瑞浪の窯業は、志野、瀬戸黒、黄瀬戸、織部など窯業史に残る作品を生み出しています。最近は、地場産業である陶磁器産業の『みずなみ焼』ブランドの確立を目指して国内外に発信しています。薄井家も父親が小さな卸売り業を営んでいたため、商品の納期が近づいたときには、宿題をほったらかして、一家総出で夜中まで陶器の箱詰めをしていたことを覚えています。

5 終わりに

 岐阜県のことを少しでも知って頂けたでしょうか。皆さんにも故郷があり、なつかしい景色が頭に浮かんでくることでしょう。今度、学校でお会いしたときには、ぜひ、皆さんの故郷についてお聞かせください。




ペンリレーA
                            小学部6年 担任


子供の頃
                  
 最近、子供たちを見ているうちに、「自分の子供の頃はどうだったかな?」と思うことがある。
 まずは、遊び。昭和43年生まれの私にとって、今の子供たちとは当然遊びは違う。ファミコンが流行し始めたのは高校時代だし、パソコンだって就職してから普及したものである。
 そこで振り返ってみると、まず最初に思い出されるのが「ゴレンジャー」ごっこ。今も続いている戦隊シリーズの草分けの「ゴレンジャー」。「ぼくは、アカレンジャー。」「私はモモレンジャー。」などといって近所の子供たちとよく遊んだ。たしか私自身は「アオレンジャー」だったはず・・・。今、日本では「デカレンジャー」が終わり「マジレンジャー」が放映されているという。勧善懲悪の精神は時代を経ても変わらない。
 次に、「缶蹴り」。「缶蹴り」は共通語なのか、秋田弁なのかよくわからないが、空き缶に鬼に見つからないように近づき、蹴るというゲームだ。子供のころ、何で一番遊んだかと聞かれれば、間違いなく「缶蹴り」と答えるだろう。ドラえもんによく出てくる空き地での野球のシーン。秋田は空き地がたくさんあるので、野球もたくさんやった。でも、男女問わず近所の子供たちと遊ぶという意味では、「缶蹴り」の方が手頃で、数え切れないくらいやったという記憶がある。
 最後に、「パッチ」。これはメンコのことである。メンコは、全国的に流行っていたものなので、どのようなものか説明する必要はないと思う。でも、秋田市では「パッチ」といっていた。きっとメンコとメンコの当たる音が、語源となっているのだと思う。弱いメンコを出し、負けが続いたら、強いメンコで勝負に出る。強いメンコは、相手に絶対取られたくないので、それを出した時の緊張感はかなりのものであった。
 以上3つを紹介したが、それは全部、外で行われる遊びだ。家の中で遊ぶとしたら、トランプや人生ゲームくらいだったので、外で遊ぶ方が楽しかったのかも知れない。しかし、昭和40年後半から50年代前半といったら、「子供は外で遊ぶもの」という暗黙の了解があったのかも知れない。近所の子供や友達同士で、外で遊んだり、とんぼを捕まえたり、かまきりの卵を探しにススキの中へと入っていったりと、自然の中で思いっきり遊んだ。
 今は、自然の中で遊びを発見するということは、なかなか難しいと思う。しかし、台中校の子供たちは、休み時間にアスレチックやグランドで、「けいドロ」や「おにごっこ」をして、友達と自然の中で思いっきり体を動かしている。何と微笑ましいことだろう。
遊びの次は生活。私が通っていた小学校は、徒歩で20分ちょっとの所にあった。途中、寺の多い通りと、造り酒屋の多い通りを抜ける通学路だった。造り酒屋では、新酒ができた時には、杉で大きな玉をつくって、玄関先に下げる。酒は、寒い季節でないとできないので冬の間に作る。だから、杉の玉が下がるのは春が近くなる頃。雨の日も、風の日も、大雪の日も、その道を通った。雪の日は、雪をかき分け、滑らないようにしながら、一歩一歩に気を配りながら歩いた。少し、通学路をそれたところに、話題もそれるが、現在は引退したようだが「桜田淳子」の実家もあった。でも、当然遠回りして見に行くことなどはしなかった。
 また、この頃はスーパーというものができはじめた頃であった。しかし、まだ、魚は「魚屋」、野菜は「八百屋」、肉は「精肉店」という時代だった。おつかいにも行った。買い物籠を持って行き、買った魚や肉、最後に新聞紙にくるんでもらっていた頃が懐かしい。
今は、スーパーに行けば何でもそろう時代。「便利になったなぁ」と思う。日本では、スーパーで必ず袋をくれるので、台湾に来て、買い物袋を持って「家楽福」などのスーパーに買いに行く時など、少し昔を思い出す。
 生活の最後は、家の中。特にクーラー。私が、家にクーラーをはじめてつけたのが、約8年前。29歳の時である。それまでは、暑くてもクーラーなしで寝苦しい夜を過ごしてきた。夏は、朝起きると毎日汗びっしょりの生活。子供の頃は、1階で寝ていたが、戸を開け、網戸だけで寝た。夏でも夜風が涼しく、とても心地よかった。今、思うと「よく泥棒が入らなかったな」と思うが、当時は普通のことであった。しかし、クーラーの生活も、とても快適。今、マンションの7Fに住んでいるが、窓を開けて寝ようとは思わない。きっと夏はクーラー全開。
 子供の時に、上のような経験をしたのは私だけでなく、同じ世代の人は、みんな同じではないかと思う。でも、よく考えないと思い出せないくらい古い昔のことのように感じているのではないかと思う。自分が年をとったということも原因かも知れないが、それよりもむしろ、世の中の変化のはやさが原因ではないかと思う。
 私たちの頃と比べて、「今の子供たちは○○○だ!」などと思うこともあるだろう。しかし、その時代その時代に合うように、子供たちはうまく適応している。私が台中校で日々触れ合う子供たちは、何事にも一生懸命で、前向きな子供たちばかりである。この変化の激しい社会に一生懸命適応してたくましく成長している。そして、その様子を、私は毎日微笑ましく見ている。
時代は変わっても、どの時代の子供たちも、夢や希望の実現のために、挑戦し続けている。

最後に・・・。「いいなぁ」と思った言葉を紹介したいと思う。

子供をもつのは、なんと誇らしいことであろうか。
子供が食事するのを眺め、子供が大きくなるのを眺めることは。
また、夜、子供が天使のように眠るさまを眺めることは。

              〈ペギー〉




図書紹介

 今回は、中学部2年のS君からの紹介です。

 ぼくが紹介する本は、「はだしのゲン」です。

 ぼくは奈良県出身です。近畿地方の小学生の修学旅行は、ほとんどが広島の原爆ドームです。 ぼくは、戦争についての勉強はあまり好きな方ではありませんでした。そこで、修学旅行前、何か簡単に広島の原爆ドームについて調べられる方法はないのかと考えていました。

 そんな気持ちで先生に尋ねてみたら、「『はだしのゲン』っていう本があるよ。」と教えてくださいました。

「それは、マンガなんですか、それとも小説ですか。」と尋ねると、その先生は、

「お前の好きなマンガだよ。図書室にあるよ。」

と教えてくださいました。

 これが、ぼくとこの本との出会いです。テキスト ボックス:  次の日に早速図書室に行って探しました。1巻から全部そろっていました。とてもおもしろくて読みやすく、1週間で全部読み終えました。台湾に来たら、台中校にも置いてありました。

 是非、みんなも読んでみてください。