家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信 NO334
2004年(平成16年)10月22日発行
|
大 王 や し |
|
発 行 所 台中日本人学校 |
校長室より
校 長 松 井 幹 夫
1.秋祭りを終えて
10月16日(土)に、台中日本人会恒例の「第13回 秋祭り」が実施されました。風が少し吹く天候でしたが、昨年に比べ数多くの方々に参加をいただき、大変盛り上がった秋祭りとなりました。これもひとえに事前の準備・後片付けなど細かいところにまで献身的なお手伝いをいただいた実行委員会の皆様・PTA役員の皆様・保護者の皆様・婦人部役員の皆様を始め、多数の皆様方の協力のお陰と感謝いたします。
「年々多くの方々、とくに台湾の皆様に参加いただき、秋祭りが定着し、盛大になってきた。」と、台中に長くお住まいの方々からもお言葉を頂戴しました。
開催に際し、子どもたちの安全面を心配していましたが、皆様方の細やかな配慮で、無事に終えることができたことに心よりお礼申しあげます。
2.「読書週間」によせて
朝夕めっきり涼しくなり、秋の夜長を感じる季節となりました。今年も、日本国内では、10月27日(水)〜11月9日(火)に、2004・第58回「読書週間」が実施されます。標語は「落ち葉をしおりに、読書の秋」です。どうか、保護者の皆様、ご家庭で、子どもたちと一緒に、「どんな本が好きだった?」と話し合ってみてはどうでしょうか。
「読書は心の栄養」とも言います。どうか、この2週間が、よい本と出会い、人間を成長さてくれるかけがえのない機会となることを願っています。日本人学校の図書館にも新しい本が入っていますので活用していただき、みなさんも心の栄養となる素敵な本との出会いをつくってください。
|
◎ 「読書週間」の歴史 昭和20(1945)年の終戦直後、食べるのもやっとという日々にもかかわらず、日本の出版 活動は活発に動き出していました。一般の人々の読書欲も高く、その機運を感じとった出版社・図書館・書店取次・報道・文化関連各団体約30が「新生日本を文化国家に」との合い言葉のもと、昭和22(1947)年に読書週間実行委員会を結成し、実施したのが「読書週間」です。当時の反響は大きく、「読書週間」は、その後も今に至るまで継続されています。 |
3.輝く台中日本人学校の子どもたち
昨年に引き続き今年も、第25回海外子女教育財団文芸作品コンクールで、本校の8名の子どもたちが優秀な成績を収め、表彰されることになりました。
4.学習発表会
子どもたちは、10月30日(土)の学習発表会に向けて、
小学部スローガン 「みんなで協力し、心をひとつにがんばろう」
中学部スローガン 「気持ちを和太鼓 心にリズム 最高の思い出を作ろう!」
のもと、最後の仕上げに取り組んでいます。
また、たくさんの保護者の皆様に参観していただき、子どもたちのがんばる姿を励ましていただければ幸いです。
| 窓 |
|
|
|


|
|
|


|
|
|



|
|
|


|
|
|

|
|
|
台湾半周の旅!
はじめに
私、体育学科を卒業し、文章を書くことが大の苦手です。これまで、提案文書や実践論文が書けず、よく頭痛に悩まされました。そんな時、決まって同僚からは「何だ、筋肉痛か?そんなもの根性で直せ!」と言われていました。今回、ペンリレーを担当させて頂くことになりましたが、しばしお付き合いください。
旅立ち
夏休みに入って一人になった私は、まず宿題を終わらせてしまおうと、せっせと学校へ通いました。夜は自力で中国語の勉強に勤しむなど、それなりに充実した生活を送っていましたが、ふと手にしたガイドブックを見て、「せっかくだから少し足を伸ばしてみるか。」と突然台湾半周へと旅立ったのでした。
1日目(8月12日)
まず1日目の目的地を墾丁としました。ここは5年生の子どもたちから「先生、墾丁はいいよ!一度は行ってみたほうが…」と言われていた場所です。
朝10時に自宅を出発し、途中の本屋で「台湾全図」を購入して墾丁へ向かいました。墾丁には3時頃に到着ましたが、宿を確保していなかったので、宿探しが大変でした。6年生が修学旅行で宿泊する予定の「青年活動中心」へ行ってみましたが、入り口のゲートで守衛さんから「没有」と言われてガックリ。困った顔をしていると、何とその守衛さんが、電話をして宿を確保してくださいました。しばらく待っていると、宿のご主人らしき人物がバイクで迎えに来てくれて、台湾初のノーヘル二人乗りを体験しました。案内されたTシャツ屋の2階へ上がると「ここでどうだ!(たぶん)」とベッドにピンクのカバーがかけられた部屋を紹介されました。「800元しか出さないと言ったし、仕方ないか」と「好!」と答えると、ご主人は機嫌良さそうににっこり笑って階下へ戻っていきました。
早速外へ出て歩いてみましたが、周りはカップルか家族連れ、または、若い男女のグループばかりで、40歳間近の男が一人でフラフラ歩くような場所ではありませんでした。「5時間もかけてきたのに何事だー」と心の中で叫びながら、墾丁まで来て、日本料理屋で食事を済ませたのでした。
2日目(8月13日)
翌日、「海だー」と叫びながら海岸へ向かうと、目の前には、数mもある高い波。そうです、台風が近づいていたのです。周りを見渡しても人影なし。居るのは自分一人です。結局、美しい海を目の前にしながら目的地を海から山に切り替えて「墾丁森林遊楽区」へと向かいました。まだまだ、日差しは強かったのですが、ゆっくり2時間半ほどの森林浴を楽しみました。途中の展望タワー「観海楼」からは素晴らしい景色を眺めることができました。
行くところ行くところで、家族連れやカップルに「写真を撮ってもらえませんか?(たぶん)」と言われました。日本語で「押すだけでいいの?」と答えると、皆「日本人なの?」というような驚いたリアクションをするのでした。毎日プールに入って真っ黒に日焼けしたので、日本人には見られなくなったのかと少し寂しくなりました。
午後は知本温泉へ向かいました。なぜなら、台湾へ来てから一度も温泉に入っていなかったからです。「足を伸ばして、肩までお湯につかって、あー極楽、極楽と言ってやる」と心に決め、墾丁を後にしました。墾丁からの海沿いの道路は大変景色が良く、海に吸い込まれるようでした。2車線の道路では、車もバイクも少なく、日本から持ってきた大瀧詠一の「A LONG VACATION」、サザンの「海のYeah!!」、自作の「ミスチルベスト」などを聴きながら安心してドライブすることができました。
さて、知本温泉でも宿探しに苦労しました。何カ所か交渉したのですが料金が折り合わずにパスをしました。結局ガイドブックに載っている格安ホテル1泊800元で話をつけました。日本語が少し話せるフロントのおばさんは、「昨日も日本人が一人で泊まりに来たよ」と教えてくれました。このホテル(ホテルと言っていいのか?)には、大浴場や露天風呂がなくてがっかりしましたが、部屋についている大きめの浴槽にたっぷりとお湯を張り、「あー極楽、極楽」と叫んだのでした。当日は、他に宿泊客がいなかったようで、時々、顔を出すヤモリ君と二人でテレビを見て過ごしました。
3日目(8月14日)
この日は宿から5分もかからずに行くことができる「知本森林遊楽区」へ行くことにしました。結構な家族連れが入場していましたが、私が歩いた森林浴歩道ではカラフルなトカゲ以外、誰にも会うことはありませんでした。途中で「観海亭」という看板が目にとまり、「この上り坂だと一人の時しか行けない」と判断してトライしました。そこから見える海の景色は、墾丁の方が数倍良かったのですが、しばらく休んでいても、誰も登ってこなかったので、征服感がありました。
午後からはまた移動です。ただひたすら海沿いの道をドライブしました。途中、軍の施設を通過するのか、軍服を着た兵隊さんに止められた時は、さすがに「やばいかな?」と緊張しました。
花蓮までの一人運転はかなり疲れました。しかし、ドライブ途中で右手に見える美しい海(杉原海水浴場近辺など)と左手にそびえる絶壁はハワイを思い出させるような景色でした。途中で「北回帰線」という塔が目にとまり、Uターンをして記念撮影をしようと思いましたが、フィルム切れで、泣く泣くその場を後にしました。(もう一度行って記念撮影をしたい)
花蓮では、有名なワンタンのお店があるということだったので、街の散策をかねて徒歩で出かけました。お店では、よく日本人が来るのか、慣れた対応で席に案内してくれました。ワンタンを待っていると、私と同じ「地球の歩き方」を手にした日本人が二人入ってきました。2日間日本語なしの生活をしていたので、「わー日本語だぁ」と久しぶりに聞く日本語に感動したのでした。1杯50元のワンタンは薄い塩味で、なかなかおいしかったです。その時手にしていたガイドブックには花蓮の情報が少なく、夜市のことなどは書かれていませんでした。そのため、ホテル近辺をフラフラし、コンビニでビール、マックでポテトを購入して帰りました。
4日目(8月15日)
最終日は、この旅行の本来の目的であった霧社への訪問でした。来台後、ガイドブック、台湾の本、テレビ等から当時の様子を知るたびに、一度は訪れてみたいと考えていた場所です。
霧社へは、花蓮から台湾随一の名勝地と言われる太魯閣峡谷を命がけで抜けていきました。「ここで岩が落ちてきたらぺちゃんこだ」と思うと、のんびり景色を見ている場合ではありませんでした。おまけに大型観光バスは通過する、トンネルは1台しか通れないのに電灯がついていない、水災で道が崩れていても表示もない。一歩間違えば本当に崖の底という状況で「早くここを抜け出したい」という一心でした。
霧社までは、かなり勾配のある山道を4時間半ほど運転しました。途中何台かの車がオーバーヒートしているのと出会い、「自分の車は日本車。大丈夫」と言い聞かせながらの運転となりました。
日本統治下の台湾で起きた先住民族による最後にして最大の抗日蜂起事件の現場は、注意していないと通過してしまうようなところでした。車を止めて少し歩くと霧社事件で犠牲になったタイヤル人を 弔う霧社抗日起義紀年碑やモーナ・ルーダオの銅像、お墓が目に入りました。その時は、自分の中にある霧社事件の記憶がよみがえり、何とも言えない重苦しい空気が自分を包みました。次に霧社事件の起こった公学校跡を訪れましたが、この地で74年前、134人の日本人が犠牲となり、その鎮圧のために約900人のタイヤル人が犠牲になったとは、とても思えませんでした。
私は、簡単なお供えをし、手を合わせてきましたが、木の葉やゴミで汚れたその場を掃除したい気持ちになりました。帰り際、すぐ横の広場では現地の方がバーベキューをしていました。自分の中での霧社という場所とその人たちのギャップに戸惑いを感じながら、霧社を後にし、台中へと帰ってきました。
終わりに
計950kmの台湾半周の旅は、私に台湾の魅力の一部を教えてくれました。とにかく、無事故・無違反、車も壊れず、小遣いの範囲を越えることなく無事台中に帰ってこられたことは何よりでした。
台湾半周の旅、いかがでしたか。