家庭、地域社会、学校を結ぶ情報通信                    NO328
2004年(平成16年)6月9日発行

大 王 や し

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校長室より

校 長  松 井 幹 夫

1.運動会を振り返って

5月29日(金)に、子どもたちが楽しみにしていた運動会を、「赤は虎 白は龍 闘志を燃やせ 龍虎の戦い」のスローガンの下、無事実施することができました。昨年は、SARSの影響で、運営委員・保護者の皆様方に見ていただけず、子どもたちだけの運動会になりましたが、今年は、早朝より多くの方々に参加していただき、大いに盛り上がり、実り多い運動会となりました。

当日は、子どもたちが登校するころに、にわか雨が降り、子どもたちと教職員一同どうなることかと空を何度も見上げ心配しました。開会式を迎えるころには天候は回復し、無事開始することができました。そして、子どもたちが、演技の合間に何度も水分を補給するという台湾の暑さが戻った一日となりました。

得点種目では、赤組・白組両軍共に力の限り戦い、手に汗を握る熱い戦いが繰り広げられ、見るものに数多くの感動を与えてくれました。

結団式のときから、生徒会・児童会の協力により、赤組・白組両軍とも勝利を目指し、練習に応援に取り組み成果が十分発揮されました。

今年は、白組優勝で幕を閉じましたが、閉会式の「児童生徒代表の話」では、両軍の応援団長が感想を述べ、二名の中学部3年生の感極まったさわやかな涙がより多くの人に感動を与えてくれました。あの姿が、台中日本人学校の純粋な子どもたちの姿であると改めて知り、校長としてより子どもたちのために頑張らなければと心を新たにしました。

難波PTA会長を始め役員の皆様方には、「未就学児徒競走」「PTA種目」では、種目決定、商品の買出し等で大変お世話になりました。ありがとうございました。

また、PTA種目に参加し、協力していただいた保護者の皆様方にも厚くお礼申しあげます。

2.あさがおの花が咲きました

 小学部1年生が、生活科の学習として、4月29日(木)に種を蒔いたあさがおが大きな花を咲かせ始めました。1年生の子どもたちが毎日水をやり、雑草を取り慈しみ育てています。本校では、毎年、「1年生を迎える会」で、2年生から1年生に前の年に育てた種を贈り育てることになっています。今年は、次のような「いのちのあさがお」の種も加わりました。

「いのちのあさがお」ってご存知でしょうか。

新潟県中条町に住んでいた丹後こうすけ君という小学1年生の男の子が、白血病で死んだお話です。

こうすけ君の死後、こうすけ君のお母さんは、たくさんの悲しみとひきかえに大切なものを手に入れました。それは、こうすけ君が学校で育てていたあさがおの種でした。お母さんは、翌年からその種を蒔いて命のリレーを始めました。収穫されたあさがおの種は、骨髄バンクを広げる運動とともに全国に配られるようになりました。

 こうして、こうすけ君が育てていたあさがおの種は、「いのちのあさがお」と呼ばれ、全国に命のリレーの輪を広げていくようになりました、というお話です。

この話は、「いのちのあさがお」という題名の本にもなっています。小学校1年生でも、読むことができるように易しく書かれていますが、子を持つ親なら必ず泣ける本です。私も泣きました。台湾に本を持ってこなかったのが残念です。

でも、私が日本から送った荷物の中に、この「いのちのあさがお」が入っていました。本物のあさがおの種です。私が新潟で勤務していた学校が、こうすけ君が住んでいた中条町と比較的近いこともあって、この「いのちのあさがお」を受け継ぐ運動に参加していました。

1年生のお子さんを亡くした母親が、「命をたいせつにしてほしい」という願いで始めた運動を、この台湾でも受け継ぐことができたことを、私はうれしく思います。

小学部1年生 学年便り bP3より抜粋

 

この心温まる話を聞き、私も目頭が熱くなりました。この「いのちのあさがお」の種を台中日本人学校でもいつまでも受け継ぎ育て、子どもたちに、「命の大切さ」・「親が子を想う気持ち」を伝えていきたいと思います。小学部1年生の皆さん。大切に育ててください。

 

3.6月に向けて

本年度はPTA総会でもお話ししましたように、6月・11月・2月は大きな行事を計画せず、落ち着いた教育環境で授業内容をより充実させ、子どもたちがゆっくりと教科学習に取り組める月としました。また、14日(月)から18日(金)までの一週間を「授業参観週間」とし、保護者の皆様方にゆっくりと日頃の子どもたちの頑張っている様子を観ていただきたいと思います。お忙しいと思いますが、是非、学校に足を運んでいただき、子どもたちを励ましていただければ幸いです。












5月29日、晴天の下体育祭が行われました。去年はSARSの影響で父兄の参観が出来ませんでしたが、今年は父兄参観の下、児童生徒は全力を出し切りました。
















ここには、保護者や地域の方、学校関係者からの思いをリレーの形で掲載させていただきます。今回は、台中日本人学校 小学部主任です。

 知り合いにこんな方がいます。その方の退職のお祝いに出かけた時、大きく引き伸ばされた数枚の写真を見せてくれながらニコニコと話してくれました。「峠に興味があるんだ。いろいろな峠に出かけて写真に収めたい。歩いてたどり着ける峠がいいんだ。」「日本中のいろいろな峠を訪ねるため、寝泊まりできるワゴン車も買ったんだ。」そう言って、今まで撮りためたうちの幾枚かを見せてくれたのです。その方は、昔からの峠、昔からの道、シルクロードと発展して今ではシルクロードの峠、村、人、自然を撮り集めています。

 峠には、自分もなぜか惹かれます。峠の頂をめざして歩いている時には、この先には何があるのだろうというあこがれが。頂

に着いた時には、吹き抜ける風の気持ちのよさに。下りながら、今までここをどんな人が通ったのだろうと思い巡らし、心も峠を越えていくのかもしれません。

 道を越えていった先にあるものに対するあこがれの面で、強く心に残っている本があります。子どもの頃、何度も読み返した本なのですが、弟の本箱の中に「少年少女世界の名作文学全集」という数十冊の本があり、その中に「日向が丘の少女」(作 B・ビョルソン)という一冊がありました。もちろんその少女にもあこがれを持ちましたが、心に残った人物は、生まれ育った村での生活を懸命に生きながらも、峠を越えた外の世界に行ってみたいと強く憧れる青年でした。今までと違う環境や世界に行ってみたいと思う気質は小さい頃から持っていたのだと思います。

 同じように、心惹かれるものに道があります。台灣では「古道」とよばれるものです。日本では「街道」でしょうか。日本の地元には「旧会津街道」があり、休みの日に山に分け入って草に消えかけた道をたどっていました。この道を人が塩を背負って歩いたのだろうか、それとも馬の背にのせて運んだのだろうかと考えたり、茶屋跡らしき建物跡を見つけてはその頃の様子を想像したりします。

 台灣では、昨年の夏に「八通関古道」を通りました。玉山から東埔温泉に抜ける道です。道は「陳有蘭渓」という川沿いに清朝時代からあったそうですが、今残っている古道は日本統治時代に軍用として対岸に整備したようです。時には断崖絶壁に半円を削り込んだような所を織り交ぜながら通る長い道なのですが、その峠にあたる所には、幻想的な草原が広がっているのです。

なぜこんな所にと思える穏やかな草原ですが、日本軍の部隊跡が今も残り、ここで何が起こっていたのか想像をかき立てられる場所です。

 今年の春には、家族で「竹村歩道」を歩いてみました。太魯閣渓谷の一番奥、中部縦貫公路上に廻頭灣という地点があり、そこから中央山脈に向けて泰雅族の部落跡をたどりながら「梅園」、「竹村」という集落をつなぐ道です。距離は片道およそ12km、ここも断崖絶壁の中間に穿たれた身震いするような道が続きます。谷川をいくつも越えるため、吊り橋が5つもあり、遊園地気分が味わえます。河床からの高さが100mを越える吊り橋、長さが160mもありゆっくりと揺れる吊り橋、スリル満点でした。「梅園」も「竹村」も原住民の集落で、河岸段丘上にひっそりとたたずむ村です。過疎化が進んでいるのか、「梅園」では2人のおばあさんに会っただけでした。最も奥の集落「竹村」は、桜の花が満開で明るく、洞窟をくぐりぬけて辿り着いた桃源郷のような村でした。

 弁当を食べ、雲行きが怪しくなってきたため帰り道を急いでいると、後ろからエンジン音が近づきます。見ると6輪の農用運搬車に男の人が3人乗り、一緒に乗っていけと手招きしてくれました。来た道、吊り橋をこれで戻るのかと考えると怖い気もしましたが、時間と天気を考えて家族4人で乗せてもらいました。これがまたすごいスピードで、吊り橋も崩れそうな崖道もかまわず突っ走っていきます。気分はビッグサンダーマウンテンでした。乗りながら片言で話してわかったことは、竹村に住んでいて、桃を育てていること。これから國小に通う子どもを迎えに下りる所だということ。子どもは「西寶」という部落にある「西寶國小」で寮生活をしていることなどでした。そして、とてもいい学校だからお前たちが良ければ案内してあげるよとも言ってくれました。

4時間以上もかけて歩いた道を30分ほどでかけ下りると、ますますスピードを上げて國小まで連れて行ってくれました。自慢するだけあって、真新しく開放的な校舎です。食堂や寮も併設され、子どもたちものびのびと過ごしていました。観光コースにもなっていて、バスが止まると観光客が降りてきて、学校の中を遠慮なく見て回っているのもさすが台灣です。子どもさんには会えませんでしたが、お礼を言って別れました。

(西寶國小にあった陶器製の飾り)

別れ際に、自分たちの育てている桃はとてもおいしいから是非食べにきてくれと言ってくれました。6月7月が収穫だと言っていたので、また、古道散策にでかけます。













クラス紹介
ここでは、月に1回各クラスの様子を紹介します。今回は小学部6年です。


小学部6年生の学級目標は「夢」です。

  夢を語り合えるクラス  夢を追い続けるクラス  夢をつくりだすクラス

を合言葉に14人が、がんばっています。現在は、まだ目標に遠く、休み時間などは、つまらないことでけんかをしたり、騒いで注意されたりしています。しかし、今回の運動会の取り組みを通して、すこしずつ、小学部の最上級生としての自覚もすこしずつ見られるようになってきました。

 

ぼくの夢は、マラソン大会で小学部一番になることです。理由は去年二番だったので、今年は一番になろうと決めたからです。       

私の夢は、モデルか新体操の選手になることです。まだなれるかどうかわからないけど、自信があります。将来の夢は変わるかもしれませんが、絶対になって見せます。       

ぼくの夢は、中学部になるまでにオールAを取ることです。あと、自分の体力を向上させることです。もう一つ大きな夢があります。それは、将来マンガ家になって、みんなが笑ってくれる漫画を書きたいです。      

私の夢は、小学生最後であるこの一年を友達などと協力しあいながら、学ぶところはしっかり学び、遊ぶときは仲良く元気に遊んで、悔いがないように最後に

「あぁ〜 今年はいい一年だったなぁ」と言えるようにしたいです。

私は、大人になってスチュワーデスになりたいです。そのために、牛乳をいっぱい飲んで、背が高くなるようにがんばりたいです。(でも、私は牛乳がきらいです。)         

ぼくの将来の夢は、教師かプロゴルファーになることです。教師になりたい理由は、みんなと仲良くし、いろいろな人との関係を深くすることです。プロゴルファーになりたい理由は、最近ゴルフにはまって好きになったからです。遠い未来の夢をめざして、今からがんばっていきたいです。      

私の将来の夢は、二つあります。一つ目はニュースキャスターです。ニュースキャスターになったら、わかりやすくみんなに伝えたいです。2つ目は盲導犬訓練士になりたいです。目の不自由な人のために盲導犬を育てたいです。この二つの将来の夢に向かってがんばりたいです。

ぼくは、パソコン関係の仕事をしたいと思っています。ぼくは最近パソコンでいろいろ調べたり、いろんな所でパソコンを使っています。でもパソコンについては、まだ半分も知らないのでパソコンのことなどいろいろ使う仕事につきたいです。           

 将来の夢はまだわかりません。いたって多いのです。作曲家・大工さんなどのほかにも、あと二十個ほどあります。たくさんありすぎて、もうわかりません。

 私の夢は、中学部になったら成績を良くしたいことです。今はちょっと悪いので、だから中学部になったらもっと良くしたいのです。だから、もっと勉強をがんばります。       

 ぼくの夢は、芸能人になりたいことです。その理由は、芸能人は給料が多いからです。なれるようにがんばりたいです。

私の夢は勉強に集中できるようになることです。私は今も勉強しているとすぐ遊びだしたり、ボーッとし始めたりしてしまいます。そのようなことがなくなるようにすることが、とりあえずの私の夢です。         

 私の将来の夢は、スチュワーデスになることです。理由は、少しスペイン語がしゃべれることと、飛行機に乗っていても酔わないからです。スチュワーデスになる夢は、小さいころから考えていたことなので、がんばりたいです。

 私の将来の夢は、スチュワーデスです。理由は、いつも飛行機に乗るときスチュワーデスを見て、かっこいいなあと思うからです。でも、スチュワーデスになるために一つだけ心配になることがあります。それは、背が低いことです。スチュワーデスは、背が高くないといけないので、なれるかどうか心配です

2004年子ども相談室より−6−

子ども相談担当

 前回に引き続き、日本のスクールカウンセラーの先生のところに来た相談事例と、それに対するアドバイスを紹介したいと思います。

Q1 子どもに問題が起きるのは、親の愛情不足だからでしょうか?

A 確かに、親の愛情が不足している、というケースもあります。ほとんどの場合は、親は決して愛情がないわけではない、むしろ、人一倍、愛情をかけている場合が多いです。また、たとえ愛情が本当に不足している場合でも、「だから、愛情をかけてやりなさい。」と言われて、「はい、分かりました。愛情をかけてやります。」と、簡単にいくものでもありません。愛情があっても、それがうまく伝わっていない関係、あるいは、親の側に愛情を持つことを妨げている事情、というのがあります。子どもの側に要因があることもあります。親は、赤ちゃんが生まれた時から、十分な愛情を持っているとは限りません。そこに、愛情が生まれてくるのは、子どもと親の間に、母子相互作用(エントレインメントと言います)が働くからです。子どもの行動や声の中に、母親の心に愛情を引き起こす働きがあるのです。ところが、子どもの中にはそういう働きをうまく出せない子もあります。見るからに可愛い子と、それほどでない子があります。さまざまな事情から、母子相互作用がうまく働かず、子どもも上手に甘えられない、親も愛情をもてない、そういう悪循環になる場合もあります。母子相互作用がうまく働いていない場合は、まず母親のサポートを行い、母親から子どもへの働きかけを積極的に行う必要があります。いずれにせよ、単に「愛情不足だ」と決めつけるだけでは、何の解決にもなりません。親子の間に何が起こっているのか、よく見きわめて、適切なサポートをしていくことが必要です。

Q2 子どもの悩みを分かったところで、どう接したらいいか分かりません。

A 悩みを分かったところでどうしていいか分からないということですが、子どもの悩みを分かってやることで十分じゃないでしょうか。分かってやるということだけで、子どもにとって大変な支えになります。私たちは、悩みを聞くと、すぐ何らかの対処法を示さないといけないように思います。そこで何かいい方法があれば教えてやればいいですが、世の中には、どうしようもないこと、また自分で乗り越えるしかないこともたくさんあります。ところが、そういう場合に対処法が見つからないと、私たちはすぐ、「だからといってどうしろっていうのか?
どうしようもないじゃないか!」と相手に対して腹を立てたりします。しかし、相手は、そんな答えを求めていないんです。まず、自分のつらさを分かってほしいのです。
 そういう時は、まず「つらかったんだね。」「いやだったんだね。」などと、分かったということを伝えてやってほしいんです。「分かった」と言わないと、子どもには伝わらないんですね。自分で言ったのと、相手から自分の言ったことが返ってくるのとでは違ってきます。相手から返ってくると、「分かってもらえた」という気持ちになります。その安心感が心の支えになり、苦しみを乗り越える力になるのです。

Q3 子育ての中で、父親の役割とは何でしょうか。
A まずこういう問題意識をもって質問される、ということじたい、すでに、立派なお父さんだと思います。少なくとも私より数段、立派です。お父さんの役割ですが、まず、お父さんというのは、子どもにとって、はじめて出会う社会です。お母さんとの一対一の関係から出て、はじめて出会う他人がたいていお父さんだからです。そのお父さん体験が、どういうものかによって、子どもが社会をどう見るかが、強く影響されます。お父さんが自分を受け入れ、認めてくれたら、社会も自分を受け入れ、認めてくれると思いますし、お父さんから否定されたら、また社会からも否定されると子どもは思います。ですから、お母さんのくれるものが「安心」とするなら、お父さんのくれるものは、社会に出て行く「勇気」だと思います。(もちろん、家によって、それが逆でも一向にかまわないですが・・・。)

 子ども相談室の原稿を書くために、一生懸命に本を読みます。読んで理解した内容を原稿にしているつもりですが、なかなか実践はできていません。昨年度から書きつづけている内容を全て実践できていたら、私はきっと素晴らしい「父親」になっているはずです。だけど、家ではなかなか子どもたちに受け入れられていない父親なんです。家庭をあまり顧みずに仕事の方を優先的に生活をしているから、仕方ないのかもしれませんが、本当に「言うは易し、するは難し」ですよね。