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| 発 行 所 台中日本人学校 電 話 2567−2079 FAX 2567−2085 e−mail tjs97@ms18.hinet.net ホームページ http://myweb.hinet.net/home5/tjs97/ |
| 14日(火):午前5時40分、早朝にもかかわらず誰一人遅れることなく自然科学博物館正面入り口 に集合。元気に中正国際機場に向け出発。台湾を後に一路関西国際空港に。 関西国際空港は雨。奈良法隆寺を足早に見学し、ホテルに到着。おいしい夕食に舌鼓を打 ち、その後大きなプール、浴場で疲れたからだを癒しました。(朝風呂に入りたかった:中3女子の声) 15日(水):午前6時起床。初秋の明日香をサイクリング研修。石舞台古墳・飛鳥資料館等の見学で 生きた日本の古代史を学びました。(お父さんの好きなコスモスの花が満開。お父さんに見せてあげたい。:中2女子の声)世界文化遺産に登録されている世界最大の木造建築東大寺大仏殿と大仏の見学。(大仏様の鼻と同じ大きさの穴をくぐりました。くぐれず、悔しがった中3男子) 鹿にやる鹿せんべいを試食した子ども多数いました。古都奈良を後に 京都へ。世界にひとつしかない手作り扇子の絵付け、きっと素晴らしい扇子が出来上がってくることでしょう。和風旅館に宿泊。夕食のチャンコ鍋に感激し、驚くほど食が進みました。男子が進んで作ってくれた雑炊の味(?)は格別でした。 私たちに一日付き合い、丁寧に説明・案内してくださったバスガイドさんの博識と職業に徹するプロ根性には頭が下がりました。きっと子どもたちの心にも深く残ったことでしょう。 16日(木):夜は少し寒かったですが、全員元気に午前6時30分起床。班別で金閣寺・銀閣寺・清水寺等の名所旧跡を自主研修後、大阪の宿泊場所に集合。心配していましたが、全員無事到着。夕食後みんなで修学旅行最後の夜を有意義に過ごしました。差し入れのお団子、たこ焼きをぺろりと平らげた胃袋にまたまたびっくりしました。 17日(金):最後の日、子どもたちが最も楽しみにしていたユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ。いろいろなアトラクション会場を手早く計画的に回り最後の思い出を作りました。関西国際空港を1時間30分遅れで台北に向けて出発となり台中に夜遅く着きました。出迎えの保護者の皆様にはご心配をおかけしました。子どもたちが、全員ケガ・病気することなく無事修学旅行終えることができたことに感謝しています。 |








そんなに蛇がいるのでは、学校は危険な場所なのでは?と思われる方もいるのではないでしょうか。でも、それは違います。蛇が生息している場所は、自然に恵まれた安全な場所なのです。太平の学校をご存じの方も多いと思いますが、太平の校舎は裏手に山(熱帯の林)を背負い、下の方に川が流れていました。学校の敷地内にもたくさんの木が植えられており、緑豊かな、自然に恵まれた環境だったのです。そんな恵まれた環境だったからこそ、たくさんの蛇が見られたのでしょう。そう考えると、大雅の学校も周辺の環境が豊かな自然に近付いてきたことになるのです。校舎設立の時に植えられた木々や芝生が根付き、バナナや果物の木が緑豊かに葉を広げ、畑には様々な野菜が植えられている。自然に恵まれた環境に、少しずつ近付いているのです。
近年、台湾では、百歩蛇や台湾コブラの生息数が激減しているそうです。中には絶滅危惧種に指定されているものまでいるそうです。人間による開発(生息地の減少)、環境破壊、販売(商業)目的の乱獲などが主な原因なのです。台湾に、多くの蛇が生息しているということは、台湾が豊かな自然に恵まれた、島国であることを忘れてはならないのだと思います。『イラーフォルモサ(麗しの島)』と賞賛された台湾の自然を、これからも守り続けていかなければならないのです。台湾の自然に触れ、そこに棲む動物や植物を知ることが、子どもたちの豊かな感性をはぐくむのだと思います。
子ども相談室より−11−
教育相談担当
あなたは自分を受け入れられますか?
人間には『人に影響を与えたい欲求』があるそうです。人は自分の存在を認めてもらうため、他人に影響を与えたいのだと言います。影響は、貢献して人に感謝されるような与え方もありますが、それができない人は、他人に迷惑をかけてでも自分の存在を誇示して影響を与えたいと思うものだそうです。例えば道路のブロック塀にスプレー缶で書いた落書き。山の手線の車体にスプレーで落書きをしてニュースになったこと。きっと、その絵を描いた人はテレビを見て、「あれ、オレがやったんだよ。オレがやったことがテレビで取り上げられてる!」と、自分が社会に影響を与えたことを確認していたのかも知れませんね。彼らは、人に影響を与え、自分の存在をアピールしたいために、迷惑という形で自己表現をしてしまうのでしょう。そういう人たちは、どうやったら人の役に立てるのか分からない、貢献なんて自分にはできない、と思っているのではないでしょうか。
人は、無視されることがいちばん怖いので、貢献の仕方を知らないと、迷惑をかけてでも自分の存在を人に認めさせようとします。無視をされるぐらいなら、怒られるほうがまだましなのです。無視されたくない子どもは、学校でイタズラをして、
「○○ちゃん、ダメでしょ!もう、しょうがないんだから・・・」と先生に怒られても、
「エヘヘ」と笑っていたほうが自分の存在を認識できるのです。
しかし、その子が掃除上手だったとしたら、「○○ちゃん、掃除するの、うまいね」と誰かに言われただけで、いたずらがなくなることもあります。
人間が幸せでいるためには、自尊感情(Self Esteem「セルフ・エスティーム」)が必要です。自尊感情とは、自分自身に対する肯定的な感情、前向きな気持ちが持てること。自分を自分で受け入れることがハッピーである一つの条件なのです。逆に、自己嫌悪や自己卑下の気持ちがあったらどうでしょう。心理学では『自分の値引き』と言いますが、いつも自分の値引きをしてたら、楽しくないのは明らかです。では、自尊感情はどうやって育てたらいいのでしょう?
一つの考えとして、『貢献』しているという意識、人の役に立ち、必要とされるという体験が自尊感情を育むというものがあります。仲間と貢献し合う関係を築くことが『ピア・カウンセリング』です。
“鳥は空気が見えない。魚は水が見えない。人間は自分が見えない”という言葉がありますが、自分で自分のことを受け入れたり理解するのは、とても難しいことです。人は他人からの言葉によって、自分に気づくことができるのではないでしょうか。
自尊感情が一番低い時期は思春期です。多くの10代の若者は、自分のことが一番きらいで劣等感が強く、「こんな私なんて、頭も悪いし、容姿もきらいだし、気も利かないし」という自己嫌悪感を持っています。一般的には、年をとるにつれてだんだん自己受容ができて、自尊感情が高まってくるようになり、「こんな自分でも大事な自分なんだ」と自分を受け入れて肯定的になることができるのだと言われています。
ところが、幼児期や思春期の傷ついたり裏切られた体験、また、その他さまざまな原因から、自分に対してずっと肯定的な感情が持てない人もいらっしゃるようです。
しかし、心の痛みや劣等感、自己嫌悪や辛い気持ちを持っている人ならば、その気持ちを生かせば人の役に立つこともできると思います。本来人間は、他人と交流を持ちたい、存在を認められたい、という欲求を持っています。だから、「こんな自分でも人とつながりを持ちたい」「役に立つことをしたい」と思うことが大切なのです。あなたが人の話を聞いて、相手の悩みやグチを受け入れられたとき、自分自身の気持ちも受け入れられるようになるのではないかと思います。人に貢献し、他人の心を癒すことによって、自分自身も癒されるのです。
一番簡単に人の役に立つのは、その人の話を親身になって聞いてあげることです。自分には知識や能力がなくても、ある程度の訓練をすれば、人の話を聞いてあげることはできるようになります。人の話を聞いてあげようとしても、聞き方が分からない人もいます。何だかうまく話をしてあげられなかったとか、役に立ちたいのにいいアドバイスをしてあげられなかった、などと落ち込んでしまう人もいます。しかし、話を聞いてあげるだけで、人に貢献することになるということを知っておいてください。お互いにピア(仲間)が増える、サポートしあう、あてにしたりあてにされる関係をつくることがとても大切です。
自分がきらいなあなたほど、人に対して聞き上手になって、ぜひ話を聞いてほしいと思います。自分に甘い部分、ネガティブな部分はあってもいいのですよ。とにかく自分は世の中に生きている価値があると理解しましょう。だから、「こんな失敗をしてしまう自分はきらいだ」と思わないで、「失敗ではなくて学んだんだ」「少し辛かったけれど貴重なレッスンだったな」「これからは、もっとよくしていこう」と考えればいいと思います。そう思うことが向上心につながっていくのではないでしょうか。

ルバルバおばさん・陳おじさんと三地國小のみなさんの紹介
〜学習発表会の日に交流をしますよ!〜
○はじめに
台中日本人学校の小学部6年生は毎年、台湾南部への修学旅行に行っています。昨年度の6年生が学習発表会で研究発表をしました。1日目は自然あふれる墾丁(特に台湾最南端の鵝鑾鼻)へ、2日目は屏東縣三地門へ行き、三地國小との交流会と原住民のルバルバおばさん・陳おじさんとのふれあいを通して原住民の文化を学び、3日目は歴史にふれる高雄・台南・烏山頭水庫風景區などを訪れます。とても思い出に残る3日間になりますが、特に2日目の交流が忘れられません。
今年の学習発表会には、三地國小のみなさんとルバルバおばさんをご招待しています。そこで、台中日本人学校のみなさんには、事前に三地國小やルバルバおばさん・陳おじさんのことについて学んでもらいたいという気持ちと、さらに、当日、感謝の気持ちを持って三地國小のみなさんたちを迎えてもらうことができるように、これから一緒に学習して行きたいと思います。
1.台湾の原住民について
(1)平埔族(へいぽぞく)
およそ400年前に多くの漢人が台湾へ移住を始めました。当時、これらの漢族移民の人々は、平原地帯に居住する原住民を「平埔番」あるいは「熟番」と呼び、のちに平埔族と呼ぶようになりました。
(2)高山族(こうざんぞく)
高山族は平埔族に対する呼び方です。つまり漢族の移民が平原地帯に居住する原住民を「平埔番」と呼ぶとき、山の近くや山地に居住する原住民を「高山番」あるいは「生番」とし、後に高山族と呼ぶようになりました。現在は、台湾の山地に住むタイヤル族・サイセット族・ブヌン族・ツォウ族・ルカイ族・パイワン族、東海岸沿いに住むアミ族・ピュマ族、蘭嶼に住むヤミ族の九部族をさします。近年、日月潭に住むサウ族を含め十部族を原住民と呼ぶこともあります。
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台湾に住む原住民は、現在人口の2%弱、約35万人と言われています。九部族に分けられるという説が有力です。 原住民という呼称は、日本で言えば先住民にあたり、1992年にそれまでの山地同胞という漢民族からの呼び方に対して、民族内から提唱された『誇り』をこめた呼称です。 |
2.三地門と霧台について
三地門は、現在の屏東縣にあります。ここはもともとパイワン族が多く住んでいた土地であり、三地國小にも多くのパイワン族の子どもたちが通っています。
霧台は、三地門からさらに山の奥に入ったところにあり、現在は原住民保護区域となっており、入山許可証がなければ外部の人たちは入ることができません。ここはルカイ族の人々が生活している土地です。
(1)パイワン族について
大武山を発祥の地とし、台湾南部に人口約6万人を有します。貴族と平民の階級制度があり、
貴族の男はもっぱら彫刻を、女は刺繍などをして暮らし、華麗な文化を持つことになりました。
陶器の壺やトンボ玉の制作にも優れた技術を発揮しています。家督の相続は男女関係なく長子が
行います。団結力が強い部族であり、1999年春に、台湾中の頭目(酋長)が集まって部族の
系統を確認しあったと言われています。台湾の人気ロックデュオ「動力火車」はパイワン族出身
です。
(2)ルカイ族について
台湾南部に位置する霧台郷は、大武山北部の高山地帯から南の裾野にそって、山々の大自然に
囲まれた静かな村です。現在は6村からなり、ルカイ族が居住し、主に農業に従事しています。
パイワン族とは民族をこえての交流が早くからあり、また風俗や生活習慣はあまり変わらない面
などが多くありますが、言葉は異なっています。
原住民の中では人数が少ない民族で、主に中央山脈の南西側の高雄縣茂林郷、屏東縣霧台郷と
台東縣卑南郷の山の方に分布し、人口は約9000人です。
3.ルバルバおばさんと陳俄安おじさん
ルバルバおばさんは、三地門に住む原住民のおばさんです。もともとは霧台のルカイ族でしたが、縁あって三地門のパイワン族に、初の部族間結婚でお嫁入りしたユニークな経歴を持つ方です。日本統治下に、霧台に開かれた小学校で日本人教師に学び、私たちと日本語で話をしてくれます。
ルバルバおばさんは、霧台郷のカバララヤン村で1923年3月パチクル家の13番目に生まれ、少女時代を霧台郷で過ごしました。当時は日本統治時代であったので、小学校では日本の教育を受けています。学校の先生は、日本人と原住民の巡査(警察官)で、国語は日本語でした。ルカイ族の言葉と片言の日本語で友だちと話をしたりして、とても苦労されたそうです。そして、この霧台郷に日本の警察官として勤務されていたパイワン族の陳俄安おじさん(当時は日本名で坂本謹吾さんと言いました)と出会い、結婚することになります。
陳俄安おじさんは、1922年7月に三地門で5人兄弟の末っ子として生まれました。パイワン族の中でも裕福な家庭に育ち、三地門国民小学校から高雄商工専修学校を卒業し、高雄巡査教習所を修了されています。続いて台湾省総督府警察署及び司獄省練習所を修了し、警部補募集に日本人と共に志願されています。日本統治下時代は、台湾人や原住民は日本名を持たなくてはならなく、陳さんは「坂本謹吾」として応募し、1941年の19歳から20歳の頃にかけて霧台郷の派出所勤務となりルバルバさんと出会われました。
陳さんとルバルバさんの結婚は、パイワン族とルカイ族の異民族間の結婚になるので、今まで例がなくとうてい許されないことだったそうです。陳さんの上司や親戚中が猛反対する中で、学校の有馬先生という方の親身な好意が実を結び、上司と酋長の説得に成功し、原住民には、今まで例がないルカイ族とパイワン族の結婚が実現したのです。
お二人の結婚式は1944年(昭和19年・民国33年)5月23日に行われました。ルバルバおばさんの生涯を紹介した『山郷の女』の著者佐久本さんの記述によれば、陳さん20歳、ルバルバさん16歳の時になります。
結婚式は、霧台の神社で警察官のにわか神主の司会で行われました。日本式の神社で結婚式を挙げたのは、おそらく原住民としてはこの二人が最初だったのでしょう。パイワン族とルカイ族の結婚式が日本式で行われるので、村人たちは大変興味を持っていたと言われています。
お二人はこの後、日本の敗戦による生活の急変や子どもの出産など、さまざまな体験をされ現在に至っています。今では、パイワン族とルカイ族を再現した三地門の自宅と陳俄安博物館には、台湾人ばかりではなく外国からの客人も多く訪れています。高雄日本人学校の先生方や子どもたちも訪問したり、学校に招待したりとお互いに交流をされていると聞いています。私たち台中日本人学校の教師や子どもたちも、修学旅行や個人的な訪問で交流を深め、2001年5月の再建記念式典に御招待して以来の御招待を、11月1日の学習発表会で行うことが決定しています。
2002年度の小学部修学旅行より






【陳俄安おじさん手造りの自宅内部とテーブルとイス・民族衣装を着せてくれるおばさん】



【2002年の修学旅行で陳俄安おじさんにお世話になった石細工の様子と子どもたちの活動】



4.三地國小のみなさんとの出会い
台中日本人学校の小学部6年生は、毎年11月に台湾南部へ修学旅行に行きます。2泊3日の旅ですが、毎年忘れられないほどたくさんの想い出をおみやげにもって帰ることができるのも、二日目に訪問する三地門での出会いがあるからです。三地門では、三地國小のみなさんから心がこもったもてなしをうけます。台湾の國小合唱コンクール第1位を獲得するほど素敵な歌声の子どもたちが、歌で出迎えてくれたり、台湾の原住民の踊りを演じてくれます。また、手作りのおみやげなども子どもたちから贈られます。三地國小の先生方も、この年1回の交流のために心のこもった準備をしていただき、特に柯校長先生の温かいご配慮により、台中日本人学校の子どもたちは、三地國小で昼食もいただいています。
この三地國小との交流も約6年前に始まり、現在に至っています。当初は三地門のルバルバおばさんとの交流だけでしたが、「現地の國小と交流ができないだろうか?」という台中日本人学校側の希望をルバルバおばさんが気持ちよく聞き入れていただき、三地國小の校長先生の所へお話を持っていっていただいたそうです。突然のお話に三地國小の先生方も驚かれたでしょうが、日本人学校の子どもたちのことを真剣に考えていただき、快く交流を行うことを決定していただいたと聞いています。
現在の中学部のみなさんは、ルバルバおばさん・陳おじさんと、三地國小のみなさんにお世話になった記憶が残っていることでしょう。特に中学部1年生のみなさんは、昨年の11月に修学旅行で訪問したばかりなので、三地國小のみなさんの素敵な歌声と踊り、ルバルバおばさんから教えていただいたひも細工、陳おじさんから教えていただいた石細工の楽しかった思い出が鮮明に残っていることと思います。
修学旅行での三地國小との交流会のようす


陳おじさんとルバルバおばさんも三地國小に来て頂き、ぼくたちの交流会に参加して下さいました。一緒に歌を聞いたり踊りを見たり、ぼくたちのリコーダー演奏と歌も聞いて下さいました。

台中日本人学校の6年生が三地國小に到着した時には、三地國小のみなさんが歌を歌いながら出迎えて下さいました。民族衣装を着た子どもたちもいたし、制服を着た子どもたちもいました。どんな交流会になるか、とっても楽しみでした。

交流会では、「これはCDから流れる曲なの?」と思わず考えるほど、綺麗で素敵な歌声を披露して下さいました。少ない人数だったけど、とっても声量があって心に響く歌声だったことを今でも覚えています。またあの歌声を聴けると思うと、胸がワクワクします。

わたしたちも、この交流会のためにずーっと準備をしてきました。16人という少ない人数だったけど、リコーダーで「ずいずいずっころばし」を演奏したり、日本の歌を歌いました。三地國小のみなさんに負けないくらい大きな声で気持ちを込めてうたいました。そして、手作りの和紙人形をお土産として渡しました。とても喜んでもらえて良かった。


交流会の最後にみんなで記念撮影をしました。いろんな原住民の服を着た三地國小のみなさんはとてもかわいかったです。ぼくもこの写真は大切な記念として持っています。11月1日にまた三地國小のみなさんの踊りを見ることができると思うと、とても楽しみです。
11月1日(土)の交流会をみなさん楽しみにしていて下さいね!